島とクジラと女をめぐる断片

アントニオ・タブッキ 著 1983年出版


物語のことはさておき、訳者 須賀敦子さんの解説より話をしたい。


この作品はタブッキがポルトガルはアソーレス諸島で

すごした日々の思い出から、書かれたものだ。


このアソーレス諸島については、まず訳者あとがきで須賀氏が、

普通日本ではアゾレスと表記されるが、リスボンの友人に発音してもらって、

その発音に一番近くて日本語で発音しても美しいと思える「アソーレス」という

表記にしたと。例えば地図や、インターネットでの検索、関連書籍などで調べて、

「普通されている表記」である、アゾレスにしてしまいがちである。それを、

いやいや待て待てといって地名を再考する。翻訳勉強中の私はうなった。


さらにうなったのは、タイトルを原題から大幅に変えたというのだ。

原題は『ピム港の女 Donna di Porto Pim』だったのを、「港」と「女」という

ありきたりな組み合わせはいかがなものか。そしての本におさめられている、

クジラや島の話がこのタイトルでは感じることができないという理由から

『島とクジラと女をめぐる断片』としたそうだ。

タブッキには申し訳ないが『ピム港の女』よりずっと良い。


作中の《小さな青いクジラ》の正体についても説明があるが、ここで言いたいのは、

その具体的な正体の話ではなく、こういった迷いや悩みこそが翻訳文学だなと。

須賀氏はうまい解決訳が見つからなかったからといって、あとがきで説明するのは

叱られそうだと前置きしながらも、自身の解釈が決定的に正しいと言える証拠もなく、

作者であるタブッキに質問もしなかったが、想像をめぐらせて行きついた解釈を

このあとがきで説明しているのである。これも面白かった。

須賀氏がご存命であれば私の解釈を便箋にしたためてガラス瓶に入れてお送りしたかった。

時々、翻訳に関する対談などで聞くのは、

訳者に質問されても感覚で書いていたりすることがあるため、原作者にも

答えられないことがあると。


須賀氏はこの作品をどうしても訳したいと10年も熱望していたとのこと。

そして何かと一緒に短編として収録されてしまうのではなく、独立した一冊の本として

どうしても出版したかったと書かれている。この熱量である。

もしも原書で読むことができればそれに越したことはないのかもしれない。

けれど翻訳家の熱量で蒸発し濾過され結晶になった解釈(物語)を読む。

これが翻訳文学を読む楽しさなのかもしれない。


どうしても訳したい一冊に私も出会いたいと思う。

そしてその時に十分に向き合えるよう、今日も勉強と読書に励むのである。

(いまは勤務中)


ちなみにアソーレス諸島とその港はこんなところ。

写真:http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/08/azores-islands_n_7540138.html

写真:http://mjsailing.com/2014/08/ 


もうひとつ、物語になっているアソーレス諸島のマッコウクジラ。

記事によるとここアソーレス諸島でオスとメスが再会するようだ。

写真:http://www.asahi.com/eco/gallery/20101217national-g/n14-1.html


ひとつの物語で、言語や形態の違いによる装幀を見比べるのも楽しい。

本あるいは

本、装幀、作家のことなど。 それから韓国留学記録や旅行について。

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