光州の魂とこの国の未来
1980年5月18日、37年前の今日は「民主化運動記念日」。
日本では光州事件と呼ばれている。
韓国は光州で、民主化を願う光州市民と政府軍が激突した日だ。
当時の保安司令官・全斗煥が鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握するクーデターを起こす。しかし軍事政権から民主化を望む国民のデモがソウルなどで起こりはじめるが、次期政権の中心になりそうだった金泳三・金大中を全斗煥が逮捕することで、光州の民衆の怒りが爆発、5月18日から10日間にわたり学生や市民と政府軍が激突、光州は戦場となり政府軍の虐殺などによる多数の死傷者を出した。この10日間、光州は韓国の中で報道を遮断され、光州以外の国民は光州で何が起きているのか把握することができなかったが、海外メディアの報道によりこの暴動を知る事になる。政府軍による暴力の鎮圧後もこの民主化運動に関わったとされる学生や労働者が捕らえられ、ひどい拷問を受ける。
上記は100%正確とは言いがたいがだいたいの全貌である。未だに「本当のこと」は闇の中だ。私は2016年にこの光州事件を扱った小説をいくつも読んだ。政治的な理由や真実よりも、あの時の光州の人々の心情を知りたかったからだ。人としての尊厳を侵害され、物をたたきつぶすように暴力をふるわれ、殺されていった、それを息をひそめて通りすぎるのを待つしかなかった家族の心の痛み。
きっかけは光州事件を扱ったハン・ガン作家の小説「소년이 온다」だった。元々ハン・ガン氏の作品が好きで購入したままいつか読もうと本棚にしまってあったのだが、翻訳講座の課題書がこの本になり、訳すことになった。それでこういった暴動によって亡くなった人のことをどう表現したらよいのか、また光州事件とは一体なんなのかを知りたくて、光州事件を調べ小説を読みあさった。
そして2016年10月末に「소년이 온다」の日本語版「少年が来る」が出版された。翻訳講座で最初の10ページだけ訳していたので、続きも全部訳してみたく、この日本語版は読まずにいたが、渡韓日の25日から読みはじめて11月27日に読み終えた。その日、光州事件で無惨に散った純粋な魂にとらわれたまま私は鐘路にいた。これから半年の生活で必要な雑貨を買って店を出ると、目の前の大通りがろうそくを持った人々でいっぱいになっていた。
あの、大統領退陣デモだった。
一瞬、まだ頭の中にイメージで残る光州の風景が重なった。
私はその人の波に入り込み、ただ一緒に光化門へむかって歩いた。
1980年、まだ言論の自由が許されなかった時代、民主主義を叫び、国の未来の為に戦った人々。
2016年、本物の民主主義とは何かを問いただし、非暴力を誓って行進する人々。
そのデモ行進の中にはご年配の方々、カップル、家族、女性一人、友人同士、、、ろうそくを手にしながら全員が大きな声で不正は許さん、大統領退陣、我々は民主主義国家であると訴えていた。韓国らしく特設舞台で歌う場面もあったが(この国の人々は嬉しくても悲しくても歌と共にある)、行進したり広場にあつまる人たちは全員いたって真面目で厳かだ。
5.18のあの時の魂が、今のこの韓国の姿をどう見ているだろうか。
長い時間がかかったが、こうして国民が非暴力の中で弾劾できる時代を。
見ていてくれたらいいと思った。
喜んでくれていたらいいと願った。
ーーーーー
2017年、パク・クネ弾劾ろうそくデモだけではなく、今度はその反対勢力が出現。
そうしてパク・クネ大統領 退陣。国民が一国の長をクビにした。
ことの発端はその周辺にいた人間から始まったが、結局国民がみな今の生活や社会のありかたに限界がきていたのだろう。
5月9日、国民投票によりムン・ジェイン氏が韓国の新しい大統領となった。見ていて興味深かったのは、50代を境に意見がわかれていたことだ。ムン・ジェイン氏は同性愛者に対する発言で若者から信頼を失っていて、私はアン・チョルス氏が当選するのではないかと思っていたが、結果は違っていた。
今日、光州でのムン・ジェイン大統領のスピーチは国民の心を確実に掴んだ。1980年を忘れずに、その上に今の我々の民主主義があり、それはこれからも継続して守っていくものであるというような内容であった。何度も「尊敬する国民のみなさん」と呼びかけ、光州事件で大切な人を亡くした遺族を慰めながら堂々と演説する姿にこの人に任せてみようと思った人は少なくないはずだ。
まだ新しい韓国は始まったばかりだ。
理想の途中で山や谷があったとしても、自分たちでNOと言って次のリーダーを民主主義の精神に基づき決めたんだというのは大きな大きな一歩だろう。
日本は同じようにできるだろうか。
光州民主化運動にこだわりながら、あの事件は本当になんであったのか、また民主主義とは一体なんであるのかがまだ自分の中で答えの出ない私は、
韓国にいながら、5月18日に光州に行くことができなかった。
私は一度、光州について韓国の友人に話をしたことがある。最初はただ本を読んだ感想を話すつもりであったが、気づいたら泣きながら話していた。カフェで大泣きしていた。
理由はわからない。なぜこんなに心臓が絞られるように痛いのか。
今は大丈夫かもしれない。だけど怖いからこうして冷静に文章に残しておく。
2017年5月18日
左:ハン・ガン(한강)作家の小説「소년이 온다」
右:上記日本語版「少年が来る」訳・井出俊作
0コメント