1年経って半年すぎて
今日の月がとても神々しく光っています。
見ましたか?月。
本当は映画について書きはじめたのだけど、
もっとちゃんと書きたくて全部消して。
(ホドロフスキー監督の映画を5本観たのでそれと、
Call me by your name が良すぎたのと、
グランドフィナーレ観て最後のシーンのオペラ曲に
はまっているのでそれを今度書きます!!)
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留学から帰国してちょうど1年経ちました。
状況も環境も目まぐるしく変わって、自分でもよくわからないまま、
そして2018年も半年が過ぎました。
生活というか生きることみたいなのがしんどくて、
笑いながらも痛くてしょうがなかった。
たくさん映画を観て、展示も観て、人に会って、
海でデートしてみたり。
引っ越しもして。
辛い分、濃かった。
良いこともそうでないことも、
すごい勢いで次々とやってくる。
最近やっと自分を活かせる環境に身をおくことができて、
はじめたばかりで吸収しなければならないことが多いけど、
楽しく過ごせるようになりました。
(以前の職場からワインバーのお仕事きてそれもとても楽しかった!!)
わたしには仕事と本と、体を動かすこと。
欲しいものがあったり、行きたい場所があって
自由に行けるんだと芯から感じられることが
とても大事なのだなと身を以てわかった。
応援してくれる目上の方々や、友人たちに
たくさん感謝しています。
それで、いろいろ出歩く中で印象深かったのは、
小山登美夫ギャラリーで観た、ライアン・マッギンレーの写真展。
以前書いた韓国のYOUTH展でも観たのだけど、
彼の写真を観ると、鎖骨の下から心臓の周辺が
ジンジンとたまらない気持ちになる。
1点1点ながめては、感情を抑え、離れて観てみては
ため息をついてとしていたので、展示数は少なかったけれど
だいぶ胸がいっぱいになって、走って家に帰りたくなりました。
それで、そこで彼が使用しているフィルムカメラも展示されていて、
すっかり感化された私は早速フィムルカメラを買ってみたのだけど、
iphoneが便利すぎてカメラを持ってでかけないという問題が。
なかなか出番はやってこず。
今年は香港と南米あたりに行く予定なので
気が向いたら撮ってこようと思ってます。
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あともう1つ、
てんで私事なのですが、自分は子どものころからそうなのだけど、
本当の本当に欲しいものは手に入れないんだなと
ようやく気づくなど。
そこに目に見えない「タイミング」という力も働き、
失ったら耐えられないから、はじめから持たないでおこうとする。
その倍の力で押されないと、最初から待てなくて諦めて
手放す。
これが自分でもよくわからなくて、
コントロールもできないからどうしようもない。
同じ状況のひといますか?
わたしたちの感情には様々な言語で名前がついている。
悲しいだとか、せつないだとか、やるせないだとか、
嬉しいだとか、心躍る、なんてものも。
本当は、そういった感情の名前より先に、
頭から足のつま先までの、血や臓器や肉が、
つまり心臓の動き、収縮と、脳が先に反応して、
それが本来の感情に直結しているはずで。
それが本当の気持ちのはずで。
だけどその症状より先に、
心の動きや本当の気持ちに近しいものの名前で定義してしまう。
自分が本当に望むもの。求めるもの。欲しいもの。
正直に、誠実なやつでいたいと思うのです。
言語や性格に負けて、心を嘘つきにしないで生きたい。
そう思う一方で、わたしはやっぱり言葉側の生き物だから、
言語を愛して言語で遊んで言語で伝えることが
大きな喜び。
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
11世紀のペルシャ詩人、オマル・ハイヤーム
(『ルバイヤート』生きのなやみ 中より/岩波文庫)
↑ この詩集オススメです!!
ライアン・マッギンレーの展示
今回の中で一番好きな写真 ↓↓↓↓
良いときも悪いときでも、
いつ切り取っても己自身の生であるように。
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